
何度塗っても壁が赤くなる曰くつきのお寺の壁があるんだよ〜

うそっ。怖い!

そのお寺は合元寺と言って、戦国武将たちのドラマがあるんだ。

どんか歴史何だろう?わくわく(^^)
こんにちは。LTまいら(@mileage_fun)です。
大分県の中津に旅行に行ってきました。今回は歴史の舞台、合元寺を取り上げます。現地に足を踏み入れてきましたので、レポートを兼ねて紹介したいと思います。
合元寺(ごうがんじ)の赤壁
赤壁の由来
合元寺の赤壁
黒田官兵衛が中津城に宇都宮鎮房(しげふさ)を招き入れ暗殺。合元寺で待機していた家臣も奇襲にあって全滅。そのとき斬り合った家臣たちの血が合元寺の壁に付き、壁を何度白く塗り直しても赤くなったそうです。いっそ壁を赤く塗ったという歴史があります。
歴史は分かるかな?

ちょっと分からない。

簡単に説明するね。
歴史のおさらい①
天下統一を目指す豊臣秀吉が九州征伐を始める↓
秀吉や黒田官兵衛らの軍
vs
九州の武将である島津軍
↓
秀吉や黒田官兵衛らの勝利
↓
黒田官兵衛は九州征伐の拠点として中津城を築城

豊臣秀吉側は本格的に九州を征伐し始めたんだね。

その拠点が中津城だったと。ふむふむ。
歴史のおさらい②
それまで島津氏の支配下にいた宇都宮鎮房だが、島津氏に代わってやってきたのが官兵衛↓
宇都宮鎮房は秀吉や官兵衛とはうまく行かず、最終的には一揆を起こしてしまう
↓
一揆鎮圧。宇都宮鎮房に対して娘を人質に渡すことで和解
↓
官兵衛は宇都宮鎮房を中津城に呼び出し、暗殺。宇都宮鎮房の家臣は合元寺に待機していたが、奇襲にあい全滅
↓
宇都宮一族滅亡

歴史は分かったけど、なんだか宇都宮鎮房がかわいそう。

源頼朝から城井谷城(福岡県)を任されていたからね。鎌倉時代から続く城を守りたかったんだよ。
合元寺
合元寺とは?
1587年に黒田官兵衛が建て、空誉上人(くうよしょうにん)が創始したお寺です。
黒田官兵衛は中津城も建てた人だね!

うん。その中津城から合元寺まで700メートルぐらいの距離だよ。

見事な赤壁です。


真っ赤っかだ。インスタ映えしそうだね。

まいちゃん…(^^;)

赤壁と呼ばれる由来の説明書きがお寺に貼ってあります。

寺院内部です。左手の建物内部にお願い地蔵がいます。


お願い地蔵は3つの願い事を叶えてくれると言われているよ。
本堂

鐘つき堂

入口の裏側。門の柱には当時の刀傷が今でも残っています。

偶然通りかかった地元のガイドさんに刀傷の場所を教えてもらいました。


今でも残っているんだ。


合元寺で待機していた家臣と、攻めてきた黒田側がここで斬り合ったんだね。



合元寺を訪れたら、刀傷を探してみてね。
感想
赤壁は想像以上に赤で一際目立っていました。あの当たりは寺町と言ってお寺が多いので、路地裏を散歩するのも楽しいところでした。
今回ご紹介させていただいた合元寺は、中津の歴史を語るにあたり、きっても切れない重要なお寺です。大分中津観光の参考にしていただけたら幸いです。
以上、LTまいら(@mileage_fun)でした。マイル(mileage)は貯めるのも使うのも楽しい(fun)ですよ。Let’s have fun!!